遺言の聞き取り

 

あの世で交わした

 

「死者との約束」の検証

              

              

1 「死者と話をする!」

過去の経験から「そんな事なら出来ますよ」と軽く言ってみたものの、所詮私にとっても初めての事、やって見なきゃ分からない事も確か。

「駄目で元々、皆さんがそれを承知の上でしたら、やってみましょう。」

引き受けたからには、負ける訳には行かない・・・腹の中だけでも、しっかり据えておかないと、思った途端、脳裏を霞めたのが、福来友吉の公開実験の不調のシーンだった。

いつの事からか、霊事をやる時には、批判的な人物や邪気を感じさせる人は、現場に入れないのが、私のやり方だった。

気乗りもしない、分別がありそうな人ほど、とかく場違いな発言で「場」の空気を白けさせたり、乱したりするもの。

お陰様とでも言うか、これまで霊事で失敗した事が無かったのも、その結果だと思う。

今回の相手にだって、霊的な力量もそれなりに有るだろうし、そう簡単に引き下がるとも思えない。何しろ住職と、あの世で会って「後は貴方に一切任せるから」と言われたなんて言い出すからには、よほどの馬鹿か、少しは心得のある輩だと考えるべきだ。

いずれにしても、何か一応考えて置くべきだと一計を案じる事にした。

 

この話は、昔同人誌の仲間だった松島女史から突然入った1本の電話から始まった。

「あんた、以前、霊と話ができるなんて言っていたけど、本当に出来るの?」

「本当に出来るなら、私の親友を助けて欲しいの。」寡黙だった彼女が一気にまくし立てた。只事ではないらしい。

親友というのは、彼女の女学校当時の同窓で、卒業した後、寺の住職の所に嫁いでいたが、旦那が急死した途端、檀家総代が、京都の山で長い間修行していたと称する修行僧を連れてきて、後継者に推薦したいと申し出て来たと言うのだ。

しかも、その理由と言うのが、修行中「彼の世」に行った折、たまたま、亡くなられたご住職とお会いし、いろいろと話し合った結果「自分が、残してきた寺を、貴殿に是非面倒を見て頂きたいと懇願された」ので、意思を継いで何とかお力になりたいと、わざわざ訪ねて来たと言うのだ。

どんなに、変な話でも立場上「彼の世」の話を頭から否定する訳にもいかず、決定的な反論も出せずに困っていると言うのだ。何しろ、この手の話は上手くまとめないと、法律上からも寺を乗っ取られる危険もあると言うのだ。 

約束の当日、その日は少し早めに出向き、本堂の配置と在りし日のご住職の写真を見せて頂いた。2~3枚めくると、急に腹が痛み出した。「よし、これなら上手く行くぞ」と確信が湧いてきた。

 

時間になり、気を取り直し本堂に入った。見ると当人らも揃っていた。

私は、曼荼羅を正面にして本堂の中央に座る。右側上座に亡き住職の妻、下座に最初に話を持ち込んだ松島女史が立会人として座った。

左側の下座に檀家総代の中村が座り、その上座には修行僧が既に座っていた。

見渡すと誰もが普段着だった。

早速、皆を見渡し、「私は札幌でシャーマンをやっている宗寿と申します」

「檀家総代の中村さんのご提案で、この寺の後継者として、ここに居られる修行僧をご紹介・ご推薦いただきましたが、この件につきまして、今回は亡くなられたご住職のご意向を、直接私がお伺いする事になりました。

なお「ご上人様とのやり取りは、私流のやり方で巫女を通しての事になりますが、後、先、異論の無いよう、全身全霊を以って執り行います。付きましては、何かご異存がございましたら、ご遠慮なく、この場にてお申し付け下さい。」 と言いつつ、一同をゆっくり見渡すと、左側の二人は笑みも漏れそうな、したり顔から「異議なし」の声が出た。

「事と次第によりましては、寺を明け渡し、引き継いで頂くような話になるやも知れませんが、宜しいですね」

前に屈むように頭を下げながら「ハイ」と二人が口を揃えた。

自称修行僧。~そんな事、出来る訳もないと思ってか、表情にも、すっかり余裕を見せていた。

 

脇に待たせておいた巫女を呼び、私の所から4尺ほど先に、向かい合わせに座ってもらい、続いて、内弟子の一人を呼び、巫女の右横5尺程の所に巫女と向かい合う様に座って貰った。

今回の巫女は、私たち教団の会員で性格や、見識に偏りがなく、自分の事は、自分で話せる、普通の会社の経理をしている、25才になる独身女性でした。

短い祈詞の後、「先日亡くなられた、当寺院のご住職様。聞こえておられましたら、ここに座る巫女のもとに、どうぞお越し下さい」 と、お声がけをした。

2~3分もすると、巫女は、腕を前に突き出し、何かを探すようにしきりに手を動かし始めた。その後、後ろへ手を回し腰から背をしきりに押さえ、苦痛の表情を見せ始めた。

「では、楽にしましょう。」 と告げた後、背後に周り、腰の少し上あたりに2・3分程気を当てた。巫女の上半身は、有難うと言わんばかりに、大きく前後に揺れた。見れば顔の表情も穏やかになっていたが汗が流れていた。「楽になりましたね」と声がけをすると体がゆっくり揺れた。

私は、一呼吸置いてから、お「目が見えておられませんね」と尋ねると頭を前後に振った。目に、両手を当て、さらに2.3分すると有難うの合図が有った。手を外すと、顔を右に向け、大きな涙を流し始めた。

「奥さん、何かお気づきになった事はありますか?」彼女は大きくうなずき、

「主人はすい臓癌で亡くなりました。いつも痛い痛いと言って、背中に手を当てていましたから」 「顔の表情もそっくりです」 

見ると、巫女の目や口は、見事なほどに穏やかな老人の顔になっていた。続けて、尋ねた。

「ご上人様、私の左手に座っておられる方の中に、どなたかご存知の方は、おられますか?

巫女の体は、大きく二回、前後に揺れた。

「重ねて、ご上人様にお伺いします。檀家総代の中村さんの右隣に座っておられる人とは、何処かでお会いになったとか、何かお話した事は、ありますか」

巫女は、無表情のまま頭を大きく左右に振った。

私は、左に連座する二人に顔を向け、目を見据え、声を抑えながら、はっきりとした口調で、「何か、ご質問は!」

二人は、尋ねられる前から覚悟はしていたらしく、総代の驚きの顔からは、吐息のような声が、「失礼しました。」と確かに聞こえて来た。泳ぐような、彼の目線の先に座っていた男を急き立て、足早に本堂から去って行った。

一瞬の長い沈黙の後 「やったー」 と声にもならない私の一言が、自分を我に帰らせた。 嘘のような本当のこの話に立ち合った、一同は驚愕と喜びの一日でした。

その後、後継者の居ない寺は北海道の東の果ての奥尻島にあった同じ宗派の寺と併合し、慧照院と名前も変わり、奥さんは、毎月給金を頂く身となったと言う。

 

先日、当時の証言が欲しく、寺を訪ねたが、寺は既に次の代に譲渡されて、六牙院となっていた。そんな事情から連絡が取れた当時の関係者としては、巫女をやっていただいた伊藤さんただ一人となってしまった。 

その後慧照院に付いて、調べを進めて行くと、札幌からは2年ほどで撤退し、奥尻に戻り、その後の、北海道南東沖地震の大津波で流された後、全国の同門からの寄進により、以前にまして立派な寺に立ち直ったとの事。

 

2 不調に終わった福来友吉の公開実験とは

 明治43年(1910)9月14日日 東京帝国大学助教授福来友吉と、京都帝大の今村新吉教授は、御船千鶴子の透視能力の公開実験を試みたものの失敗に終ったという。

福来は、その後も念写等の実験を重ねるも、思ったような結果を得られず、やがて精神作用を伴う研究は実験に向いていないとまで述べるようになり、終には「透視も念写も心霊問題」だと発表するに至り、やがて東京帝大を追われる事になってしまった。

福来は、数々の実験の失敗を通して、五感知覚の働きだけで、いくら自然を観察しても、宇宙の真理を科学的に決定することは出来ないとも言っている。

 

3 福来友吉の実験失敗の原因は。

気の質が鍵だったのではと思う。

彫刻や絵を評価する時の光にも似て、心霊を観察する場合にも場の「気」の質が重要な鍵を握っていると思われます。

述べるまでもなく、気は生物すべての生きる源でありながら、その正体を知る者も少なく、本来なら、その辺から述べるべきものと思いながら、今回は本文中の「一計」について述べたいと思う。

 

・心霊現象を成功させる条件とは

福来友吉の実験の場合、事前の実験では良い成績だったにもかかわらず、公開実験の時に限って失敗した最大の理由は、成功させようとしていた「気」よりも、失敗を期待した「気」の方が勝っていたからだと思われる。

ちなみに、明治43年9月14日の公開実験の記録に依れば、大学関係の「まさかの目」が9人、主催者側の5人が互いのプライドを掛けての実験だった。

つまり、公開実験の方法として、互いの気の影響を受けない方法を考慮する必要があったと思われる。

ちなみに、最近量子物理学の世界では、人間の見方とか取り巻きの条件によって性質が異なる物質が発見されたと云う情報もあり、念も電子波動の様に測定が可能なのか、目下資料を検索中です。

 

まとめ

前記の招霊の場で、私が試みた奇策とは、霊査の場に内弟子を一人増やし、もっぱら邪気払いの祈祷をさせていた事です。

つまり、失敗を願っている二人に対して、成功を願う側の我々が4人だったという勘定です。この事が招霊を成功させたと断言するには、無理があるものの、私に取っては、ひとつの拠となっている事も確かです。

 

 

 

当日のスタッフ  巫女     伊藤美智子 当時26歳 

                                     北海道中標津郡に健在。

                   補助役  佐藤一二三 当時23歳

                                     北海道河東郡に在住。

                     シャーマン 村山宗寿  

                                   札幌市在住・

 

霊査会場  札幌市豊平区  現在 日蓮宗 ○○○院